ここはおもにハワイの事や、海外の旅に行った事、海外の旅の思い出、海外の旅のお土産など
海外に関することを気まぐれ日記で紹介したいと思います。

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サンフランシスコ2日目
ケーブルカーを横から見たところと前の部分です。
ハワイのトロリーバスはこれがヒントかもね。
ハワイのトロリーは日本人の人が考えてワイキキに走らせるようになったんだとか・・
2006/08/29

サンフランシスコ2日目
パウエルストリートのケーブルカー発着所。
この丸いよくビルの駐車場などで車を回転させているのによく似ている。
グリップマン(ケーブルカー運転手)が人力で方向転換させて出発準備をする。
まるで遊園地のアトラクションのような気分だ。
2006/08/28

サンフランシスコ2日目
ケーブルカーを並んでいる最中どこかのテレビ局がきて撮影していました。
ところどころで撮影している現場をよく見かけました。
場所的にそうなのかもしれません。
2006/08/28

サンフランシスコ2日目
チケットを買ったら乗る列に並びます。
もう列は夏休みの観光客ですごい列になっていました。
日本人は見かけませんでした。
並んでいる間何か食べ物や飲み物を買って食べている人が多かったです。
アメリカ人は常に何か食べてるいる人が多いと思いました。
ケーブルカー車内は飲食物は禁止です。
飲み物を持って乗ろうとすると乗せてくれません。
2006/08/27

サンフランシスコ2日目
まずはケーブルカーに乗るのにチケットが必要です。
各ケーブルカー発着所にあるシルバーの乗り場で購入します。
片道5ドルです。
往復10ドルでも買えます。
チケットは乗車後車内でも買えますが私は記念絵葉書付きが欲しかったの発着所で購入しました。
写真の絵葉書がそうです。
絵葉書に片道のチケットが付いています。
2006/08/27

サンフランシスコ2日目
さあいよいよケーブルカーに乗ります。
サンフランシスコに来たら必ず乗りたかったもの。

その前にケーブルカーの誕生のお話
サンフランシスコにケーブルカーが登場する以前は馬車が走っていました。
その馬車の不幸な事故が1869年の霧の深い(サンフランシスコは霧が凄いので有名)冬の夜に起きました。
馬車の馬が濡れていた地面に足を滑らせて馬車と乗っていた乗客もろとも坂道を転落してしまったのです。
乗客は助かりましたが、4頭の馬がこの転落で命を落としてしまったのです。
この事故を偶然目撃していたイギリス生まれのエンジニア、アンドリュー・ハレディーでした。
彼はゴールドラッシュの頃、鉱山のケーブルカーを設計した人物でした。
彼はこの事故の後もっと坂を上れるシステムを発明しようとこのサンフランシスコに移ってきました。
思案の末、スキーリフトの原理を応用したケーブルカーだったのです。
しかしよそから移ってきた彼は市民の反応が冷たかったのです。
ところが時速6.4キロメートルでゆるりと坂を上って行く姿を目前とすると、誰もが絶句をしました。
1873年世界初のケーブルカーの誕生でした。
こうしてケーブルカーは市民の足の必要不可欠になりました。
しかしケーブルカーも一時廃止寸前のピンチに見舞われた時がありました。
ケーブルカーのピークは、1906年のサンフランシスコ大地震が起こる直前の頃、当時110マイル(177km)のルートに600台のケーブルカーが走っていました。
しかしこの大地震と火災によって、路線は完全に破壊されてしまいました。
その後多くの路線はそのまま再建されることなく、ケーブルカーの代わりに電気トロリーが使われることになりました。
1947年当時の市長が「ケーブルカー廃止宣言」を打ち出し、全線バスに切り替えようとしました。
そこで立ち上がったのがケーブルカーレディと呼ばれるフリーダ・クラウスマンを筆頭にした女性達でした。
続いて反動運動に男性も加わりました。
さらにルーズベルト大統領夫人の応援も得て廃止は撤回されたものの、時代の波には対抗できませんでした。6路線あったのが3路線にカットされてしまいました。サンフランシスコ大地震から50年間減少し続けました。
1950年市は保存と保護を決定し1964年にはアメリカ最初の動く固定歴史歴史記念物に指定されました。
2006/08/27

サンフランシスコ2日目
必ず見てしまう歯ブラシコーナー
キャラクターものが多いので今回もいくつかキャラクターものを買った。
2006/08/27

サンフランシスコ2日目
アメリカに来ると必ずと言っていいくらい寄るのはスーパマーケットかコンビニ。
ハワイのようにABCストアーなどはないがいろいろな日本にはないものが置いてある。
このお店は薬屋さんみたいなもので置いてあるんものはマツキヨのような品が多かった。
でも歯に関するものなど見たことない商品がある。
2006/08/27

サンフランシスコ2日目
ミュ二メトロ
交通渋滞の穏和を図るため、地下に電車を走らせることになったのがミュ二メトロ。
ダウンタウンのマーケットストリートの地下を走っている。ヴァンネス駅を過ぎると途中から地上に出て路面電車になる。
この他にバートという1974年に誕生した高速交通システムでサンフランシスコケーブルカーに次ぐ名物交通機関であり、サンフランシスコ自慢のひとつだそうだ。
このバートの凄いところは時速は最高130kmまででる。
切符の改札、販売、運行スケージュールの調整から運行までコンピューターがコントロールしている。
路線は5本。
サンフランシスコと対岸のオークランド、ベイエリア間を海底トンネルで結んでいる。
駅の数は43駅、サンフランシスコ市内には10駅ありちょうどマーケットストリートを走っている。

ミュ二の駅とバートの駅は同じ場所にあり、地下1階がミュ二メトロ、地下2階がバーとの路線。
ミュ二は地上に出ると駅ではなく停留所に変わるそうだ。
ストップと書かれた赤い標識が目印になるそうだ。
何か鉄道な乗り物が多いサンフランシスコだ。
2006/08/23

サンフランシスコ2日目
歩いているとコカコーラの車がとおり思わず写真を撮った。
アメリカらしいそんな車やトラックが通ると見てしまう。
2006/08/23

サンフランシスコ2日目
次の日夜寒かったので暖房をつけて寝たのでその暑さで目が覚めてしまいました。

夏なのに汗が出るような暑さはありませんでした。
東京は蒸し暑くて暖房をかけたなんて主人に電話で話したら信じられないと言っていました。
私もこんなに寒いと思いませんでした。
昼は半袖でいられますが夜はいきなり冷え込みます。

娘と歩いてユニオンスクエアまで歩いて行きました。
ホテルからユニオンスクエアまでは歩いて約15分ぐらいでした。
2006/08/23

サンフランシスコ
デザートはナンシーさんキャラメルアイスとパイ(左)
私はストロベリーアイスとバニラアイスのチョコレートシロップがけ。(右)
お腹いっぱいになりました。
食べ過ぎた〜という感じで、
ナンシーさんにご馳走になってしまった。
気がついたら時計は夜の12時になろうとしていた。
このあとレストランを出てナンシーさんの車でホテルまで送っていただき時差ぼけもあったのでホテルに着いたとたんシャワーを浴びてベットに入り寝てしまった。

第一日目が終わりました。
次は2日目です。
つづく・・・
2006/08/17

サンフランシスコ
お肉と野菜のグリル焼き。(左)
シーフードとお肉のスープ(右)

アメリカンな味だ。
どちらも美味しかった〜
2006/08/17

サンフランシスコ
携帯していたタイマーのような呼び出しベルが鳴った。
ようやくレストランの中へ通される。
リクエストをしていたのでテーブルは海の見えるところに。

まずサンフランシスコ名物のサワードゥブレッドで有名なボウディン・サワードゥ・ベーカリーのパンが出された。
お代わりOKだ。
少し硬めで酸味があるパンだ。
あとでこのお店に行くのでその時にこのパンのことを紹介する。

アメリカ料理を注文

サンフランシスコはシーフードが有名。
イカの揚げ物。
このレストランオリジナルタルタルソースをつけて食べる。
これはすごく癖になりそうな味で美味しかった。

シェリンプも盛り合わせ。
付け合せのチリソースをつけて食べると絶品な味。
これもいくつでも食べられそうなくらい美味しかった。



2006/08/16

サンフランシスコ
夕陽が沈みだしたら早かった。
もう太陽は見えなくなっていた。

ハワイにしても北原さんの佐島邸にしても夕陽が沈むのを見るのはどれも見事に綺麗だった。
2006/08/16

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