ここはおもにハワイの事や、海外の旅に行った事、海外の旅の思い出、海外の旅のお土産など
海外に関することを気まぐれ日記で紹介したいと思います。

HOMEページ

サンフランシスコ
メニューもベティちゃん。
テーブルにひかれたランチョンペーパーマットもベティちゃん、
アメリカらしいですね。
2006/08/03

サンフランシスコ
店内に入るとベティちゃんのグッズが売られていた。
お店の中もベティちゃんだらけ。
テーブルはベティちゃんの大きな絵の下にした。
2006/08/03

サンフランシスコ
ユニオンスクエアを歩いているとどこかで見たようなキャラクターがお店の前にいた。
記念写真を撮ることに。
そうアメリカのキャラクターベティちゃんだ。
お昼はここのレストランで食べる事に。
お店の名前「BETTy BOOP's」
2006/08/03

サンフランシスコ
バーガーキングでおもちゃだけ買ったスーパーマンのおもちゃ。
2006/08/03

サンフランシスコ
ユニオンスクエアを歩いているとバスケやアメフトや野球のチームのユニホームが売っているお店があった。
アメリカはバスケットもアメフトも野球も盛んな国
真ん中の娘がバスケをやっているせいか自然と見てしまう。
2006/07/30

サンフランシスコ
ユニオンスクエアを進むと途中、日本では撤退してしまった「バーガーキング」があった。
ハッピーミールのおもちゃはスーパーマンでした。
おもちゃだけ購入しました。
2006/07/30

サンフランシスコ
ユニオンスクエアに着くとまずサンフランシスコ名物
ケーブルカーがありました。
サンフランシスコは坂の街。アップダウンが半端じゃないんです。
車のマニュアル車に乗っていたら坂道発進に苦労するでしょう。
サンフランシスコにケーブルカーが街に登場したのは今から130年前の1873年8月1日とかなり古い歴史の乗り物です。
19世紀当時と同じ姿でのんびりと美しい町並みを走っていく光景は今も変わらないそうです。
今の時期夏のシーズンなのでケーブルカー乗り場には観光客の長い行列が出来ていました。
2006/07/30

サンフランシスコ
ユニオンスクエアに行く途中道路を渡る時写真を撮ったもの。
線路が道にあるんです。
地下鉄が道路に出てくるんです。
2006/07/30

サンフランシスコ
左写真 映画館かと思いなんと大人の映画館?か、スト○ッパー○場みたいな看板が。

何かこの街の風景は昭和の頃を思い出す街でした。
古い車も通っていたり古い地下鉄が走っていたりレトロな感じがしました。
2006/07/27

サンフランシスコ
部屋で少し休んでお昼を食べに行く事に。
とりあえずユニオンスクエアまで歩いて行った。
左写真 地下鉄出口
2006/07/27

サンフランシスコ
ベランダから見たお部屋です。
外の景色はビルが多かったです。
それにハワイの景色とは全然違いました。
2006/07/27

サンフランシスコ
ホテルに着きようやく部屋へ入れます。
旅の疲れも部屋に入りう〜という感じでした。
サンフランシスコは少し寒かったです。
でも今は夏時間なので1時間早いそうです。
ロスとは違う感じでした。
娘とどっちのベットに寝るか競争でした。
いつもどっちのベットかでもめます。
結局娘が窓際に決まりました。
ハワイでは私の方が優先でした。
まあいつも子供みたいなことをしています。
お部屋を紹介します。
結構大き目のベットでした。
まあ普通でした。
もう少し景色がよければと思いました。
2006/07/27

サンフランシスコ
ホテルの近くになり空港から約20分ぐらいのところだった。
この風景を以前来たことがあるような感じでした。
2006/07/27

サンフランシスコ
サンフランシスコ市内はストリートカーという路面電車が走っていて
違うタイプの路面電車を何台も見ました。
2006/07/24

サンフランシスコ
高速を降りて市内へ
サンフランシスコは坂が多いところです。
サンフランシスコは車社会であるアメリカ西海岸の街の中でも車がなくても市内観光の出来る貴重なところです。
中でもサンフランシスコといえば名物ケーブルカーには乗って帰らないと。
車の外は海の側をとおり市内へ入る。
街が見えてくる。
なぜかここサンフランシスコに着いた時、昔来たことがあるような景色でした。
今回サンフランシスコは初めて来るところなのになぜか懐かしい感じがしました。
つい何ヶ月前に知らない外国の夢を見ました。
それでその夢の場所がどこかやっとわかりました、このあとの写真風景に出てくるのでその時また紹介します。
母に子供の頃よく言われたことがありました。
私は曾おばあさんの生まれ変わりかも?と
性格や似ているところがあるみたいです。
それにアメリカが好きで派手で人形好きでわがままなところが・・・
私の曾おばあさんは私が生まれる前に亡くなっていたんですが、曾おばあさんは曾お爺さんの仕事の関係であまり日本にはいなかったそうです。
昔は飛行機ではなく船で外国に行っていたそうで曾おばあさんもアメリカ暮らしが多かったそうです。
曾おじいさんがアメリカシカゴの大学を出ていたので仕事がこの当時英語の出来る人がそういなく外交の仕事をしていました。
曾おばあさんはその外国暮らしの影響かこの当時化粧もしてマニキュアもしていてハイカラばあさんと言われてたみたいです。
今では珍しくもないですがこの当時はこの夫婦は大変珍しい夫婦だったみたいです。
私の祖母はこの頃よく外国のお菓子やパンを食べていたみたいです。
2006/07/23

前ページページ先頭次ページ